2011年 07月 27日
耐久と言えば・・・・・
バイクレース好きの方ならやっぱり見てしまうと思う、伸介(検索に引っかかると面倒なので漢字は当字です)8耐プロジェクトですが僕ももちろん見てます。
昨日の芸人達のピット作業練習シーンなんか見てると10年前程の昔を思い出してしまいますね。

自分は関東在住なので8耐には出ませんでしたが、2000~2002年のもてぎ7時間耐久ロードレース(もて耐)には参戦しました。
一時は『西の8耐、東のもて耐』と言われたほど、もて耐って盛り上がってたんですよ。
エントリー台数は250台も有って、なんと賞金も出てたんです!
有名ショップが多数出ていて、キャンギャルもたくさんいて、かなり華やかだったなあ~。
2003年から納得出来ない大幅なレギュレーション改正が有って、多くのチームが参戦を止めちゃいましたけどね(レース中、ガソリンスタンドに並んで給油しろって言うんですよ!)
その頃からもて耐の有り方が変わって、楽しむ事に重きを置いたレースになったようです。
良かったのかどうかはわかりませんが、あの華やかさを自ら捨ててしまったもてぎは勿体無いことしたと思いますが・・・

2002年 もてぎ7時間耐久ロードレース決勝 YZF-R1 僕
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そういえばテレビで給油やタイヤ交換シーンをやってましたが、僕らプライベートチームでもスタッフが練習を重ねてかなり早い作業が出来るようになってました。
(8耐と違いエア、電動工具は使用禁止だったのでさらに大変だった)
僕はライダーとして参加していたので作業は任せっきりだったのですが、本当にスタッフは大変な作業をしてくれました。
本番でも完璧な作業でしたよ(^ー^☆
そのスタッフの中に今のMIDLINE社長(当時チームのチーフメカだった)や今度のエビスミニバイク4耐主催のRSKの面々が居てくれたんですよね。

給油作業中 もちろんクイックチャージャー使用ですが、これOSL(桶川)さんから借りたんですよね~。
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ピット作業を終えて出て行くところ 
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ウチのチームは周りから言われていた様なショップ系ではまったく無く、本当にプライベート参戦だったんです。
2002年の参戦マシンは2002年型のYZF-R1だったのですが知り合いの街のバイク屋から購入した車両でした。
新車状態から開けていないフルノーマルエンジンにマフラーを装着しただけの車両です。
インジェクションでしたのでキャブも変えれず、電気も保安部品を外しただけ。
はっきり言ってストレートは激遅でした。
周りの有力ショップはかなりチューニングしていたマシンだったので不利な条件だったのは否めません。
1000ccなのに600ccにストレートで抜かれたもんな~・・・
当時はGSX-Rがノーマルでもストレートが無茶苦茶速かったので、おとなしくGSX-Rにすれば良かったのですが、格好が好みでない!と言う僕の個人的な理由でR1にしちゃったんですよ(爆)
エースライダーの浅見さんには無茶してもらいましたね(^^;

こんな感じの参戦でしたが素晴らしいスタッフと綿密な作戦により2000年は10位、2002年は12位とプライベートチームとしてはかなり上位になる事が出来ました。
ベストタイムは決して速くなかったのですが、他でカバーしてくれたんですね。
2002年は終了50分前には4位だったんですよ!
しかし第3ライダーが無念の転倒。
なんとか復帰するも12位まで順位を落としたという残念な事も有りましたが、今では良い思い出です(^ー^

粉々になったカウルのまま最後走りきりました
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レース後の記念撮影 みんな笑顔です(o ̄▽ ̄)※他にもこの写真には写っていないたくさんのスタッフに協力してもらいました
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昨日TVで伸介がスタッフとして参加する芸人達に
「一生で一度、経験できるかどうかの感動を味合わせてやる」
みたいな事を言ってましたが、本当にそうだと思います。
役割や成績関係無く、耐久レースは一生懸命やって終われれば一生物の思い出になりますよ。
 
一度は仲間を誘って耐久レースに参戦してみましょう!

by alphin-r | 2011-07-27 11:27 | ロードレース


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